卒業生の声(リワーク/転職)

Y.I.さん(30代:男性)

休職に入ってから半年ほど経った5月、そろそろ働くことも考えていると主治医に言った際に、主治医から紹介されたのがリファインでした。メンタルダウンは2回目でしたが、当初は自分はもう働けると考えており、就労移行なんて…と思っていました。一方で、再度のダウンで、会社で働くことに抵抗があり、どうしてよいか分からな無い状態だったので、家でだらだらしているよりは良いかと軽い気持ちで通所を始めました。

当時は、リファインを他の就労移行と同じように福祉的なサービスを提供するもののイメージで考えていました。リファインで、社会に戻ることだけでなく、戻った後に二度と同じようにダウンをしないように自分を分析し、対策を講じることは想像もできませんでした。当時は社会から自分が外れている認識すらそもそもなかったのでそりゃそうですね。主治医が言っていた通り、リファインは就労移行の中でも特別な事業所でしたが、通所前にあるいは通所当初それを認識することは、今から考えても無理だと思います。

通所当時は、自分が二度もダウンしたにも関わらず、「病気である」という認識が薄かったように思います。「自分は弱くてダメで、(本気を出せばできたしダウンもしてないのに)逃げただけだ」と考えていたことが、ワークを通じて真に自分と向き合うことも対策をすることもしなかった原因だと思います。リファインは様々な人がいますが、優秀なビジネスパーソンが多いです。年の売上が兆単位の企業で、表彰を受けている人や最年少課長やらの話は事欠きません。「自分はエリートで他とは違う、こんなところにいるべきではない」という認識は、入所当初に多くの人が抱いている印象でしたが、当時を思い返すと、その中でも自分は特にこじらせていたかもしれません。7月になり本通所が始まりましたが、

そんな状況なので、当初は「得るものなんてほとんどない!」と思っており、具合が良くないと休むことを繰り返し、「早い人で半年?俺なら3か月だな!」と息巻いて、直ぐに卒業できるだろうと思っていた通所は気づいたら半年を超えていました。

通所をしているうちに大きな転機が3つあったように思います。

一つが、“トリセツ”(※自分の取扱説明書の作成、リファインの卒論的なもの)を始めた際に、昔の自分はどうだったかを思い出したことです。昔の自分はどうだったのか、どうしてこうなったのかを考えたときに、自分は病んでいるのだ、ということを初めてちゃんと認識できました。そして、対処も直接的で場当たり的なものでなく、自分という人間に基づいて、より本質的に行うことが必要だということに気が付きました。その頃のワークでは、『コンセンサス』を取るワークが特に印象に残っています。自分の『強烈な負けず嫌い』というずっと持っていた性格に気付くと共に(自己肯定感の低下から、近年ではずっと負けず嫌いを抑えつけていました)、逆にどうしたら周囲と良い関係性を築けるのかを考える良い契機になりました。

次が、リファインでの友人(他の通所者)との関わりから、人と自分のあるべき関わり方を学んだ際です。11月に、無断欠席を機に、体調面の問題からトリセツを進めるための面談が停止していました。卒業の目的であるトリセツがいつ再開するかもしれないままに3週間が経過し、今後が見えないことの不安さから、通所を辞める寸前まで追い込まれていました。「いつ再開できますか?」「どうしたら再開できますか?」と、今考えるとたったそれだけのことが、言ってもダメだろうと予期不安ばかりを抱えて動けなくなっていた自分がいました。その際に一歩を踏み出す勇気をくれたのが、リファインの通所者同士で特に仲の良かったMさんでした。その時に、周囲の友人の存在のありがたさを感じました。一方でその時、ストレスが掛かっていたときほど、周囲との関係性を絶ってしまっていた自分に気づきました。暗い表情をして落ち込んでいた自分に、「どうしたの?飯いきましょう!」と、手を差し伸べてくれたMさんは自分の人生を救ってくれた恩人と言っても過言ではありません。彼は先にリファインを卒業しましたが、今でも定期的に会って話をしています。そういう意味で、生涯の出会いの場であったと思います。また、結果として1年と3か月もの期間をリファインで過ごしたことは、多くの、多様な人生経験と価値観を持った素晴らしい通所者との出会いのきっかけになったと思っています。多くの業種、職種の素晴らしい人と出会えたことは自分の資産になっていると思います。

最後は、行動を変えたことで、自分が大きく変わったと明確に感じた際です。きっかけは3月ごろに、トリセツの「今後について」を考えた際のことです。周囲の信頼を得るために、当たり前の生活習慣ができるようにするという、まあ言ってみれば当たり前すぎるしょうもない内容です。例えば朝が苦手で、度々遅刻をしていました。しかし、自分のこれまでの人生や考え方を掘り下げたことで、朝に早く起きることに必要性を感じていなかった自分にも、病気以外のちゃんとした理由があったことを発見したことで、次の日から『朝早く来ること』ができました。これをきっかけに、正式通所が始まってからの8か月間、2週間連続で通所できたら新記録という状態から、当然の様に毎日、朝早く来ることができるようになりました。それ以来、6か月の間、一日も欠席をしておらず、7月の就活中に急性胃腸炎に罹ったときですらリファインに顔を出していました。6か月で18キロものダイエットにも成功し、スタッフや他の通所者との会話が圧倒的に多くなり、リファインを家よりも居心地の良い場所だと感じることができるようになりました。また、トリセツが進み自己理解が進んでいくにつれ、日々のワークから得られるものが増えていきました。ワークを行う際に「自分とは何か」というフレームワークができたからです。4月から代表面談に行くと、トリセツで自分を掘り下げることは更に面白くなり、たった1~2か月の間、居心地の良い環境にいるだけで、それに耐えられるほどに体調が回復していました。それまで8か月かけて大きく病状が改善していなかったことを考えると、衝撃的です。最近からの通所者の方から見ると、以前の僕は全く想像もできないでしょう。劇的な変化です。

そんな僕も、転職活動では大変でしたが、結果として、トリセツを元に作成した『就活の羅針盤』で方針を決め、大手企業を含む複数の会社から内定を頂き、無事に第一志望の会社への入社を決めました。

リファインを卒業する今、他の通所者や、うつで苦しみ、通所を検討していてこの体験記を読んでいる人に伝えたいことは、とにかく今、苦しんでいる自分を許してあげて欲しいということです。自己受容という言葉がリファインでも良く出てきます。でもその言葉だけでは到底片づけられない深い深い悔恨や、とりかえしのつかない過ち、こうするべきだったのにやらなかったという自分への卑下、責め、他人への反発、侮蔑、自己嫌悪、焦燥、自分への失望、絶望…過去の出来事に対して、様々な言葉にできない思い・感情が特に自分に向けられていると思います。

でも、その時の自分は自分なりに頑張っていたのではないでしょうか。それは結果としては満足いかないのかもしれないけれども、理想とは違うけれども、その時の、自分なりになんとかしようとあがいていた自分を、仮に絶望して何もできなかったとしても、そこに至るまで頑張った自分を許して欲しいと思うのです。自分を許す行為は、自分を責めている時は、『逃げ』とも、『開き直り』とも感じると思います。自分も通所当初はそうでした。

しかし、うつで悩んでいる自分を変えたい、なんとかなりたいと思った時に、最初に本当に必要なのは、自分を許してあげることだったと思います。

そしてそれには思ったよりもずっと時間が掛かります。自分に相対し、発見をするためには周囲の環境がいります。それを助けてくれる適切な仲間が必要です。自分に相対するための体力がいります。苦しくて、悔しくて、後悔で、眠れなくなります。

個人のキャリアとして、30代前半のキャリアをもっとも積まなければならない時期に1年と2か月もの期間を、就労移行支援で過ごしたということに対する代償は決して軽くはありません。それでも、その意思決定をした自分を許し、結果としてリファインとの千載一遇の出会いを得られたことを褒めてあげたいと思います。そして卒業を迎えることができた自分を祝ってあげたいと思います。僕個人としてはリファインでなければならなかったと思っているし、リファインに通って本当に良かったと思っています。