卒業生の声(リワーク/転職)

H.Yさん(40代:男性)

私は4度の休職をしている。1度目、2度目は図書館通いをして復職、3度目は医療系のリワーク施設に行き復職をしたが、どれもうまくいかず、4度目の休職に至った。

4度目の休職の際は、上司との軋轢から入院するほど体調を崩してしまった。
そのため退職を決意する。10年以上勤務していた会社を辞めたことで、将来に対し希望が持てなくなっていた頃、主治医からリファインを勧められる。

リファインでは再発予防だけでなく、就職の支援も行っているということで、再就職を目指すには適切な施設なのではという意見だった。私も就職活動を支援してくれるという点に惹かれ、まずは見学に行くことにした。

リファインに見学に来た際、まず驚いたことが利用者の皆様が活発にワークに取り組んでいる姿だった。真剣にワークに向き合う姿勢を見て、その場で入所を決意した。

入所は出来たばかりの第2センターでのスタートとなった。出来たばかりということもあり、全員が入所したてという環境で、皆同じスタートラインに立っているという安心感もあり、お互いに励まし合いながらワークを進めた。私は毎日通所すること、朝はなるべく早くリファインに顔を出すこと、そして積極的に発言、行動することを意識的に行った。ワークは和気あいあいとした雰囲気で、この仲間と頑張って卒業を目指そうという気持ちにさせられた。

ワークは認知行動療法をベースとしたワークが様々なアプローチで行われた。私は医療系リワーク施設に通っていたこともあり、ワークに対しては再確認の場になるのだろうと思っていたのだが、その予想はいい意味で裏切られた。

毎回、新しい気づきやグループワークならではの新しい視点などが生まれ、そのことが私を徐々に成長させてくれたように思う。

リファインでのワークはとにかくグループワークが基本。自習時間も少なく、そのことが逆に私にとっては有難い環境だった。メンタル不全という病気については、まずはコミュニケーションをとることが重要と考えていた私にとって理想的なカリキュラムだったと思う。とにかく毎日が刺激的で、リファインにくることが楽しみになるほどだった。

4か月ほどした頃、第2センターから「明日から第1センターでワークをして下さい」と告げられる。折角慣れた環境から離れるということが私を不安にさせたが、これも一つのトレーニングと考え、第1センターでのトレーニングをスタートした。

1週間ほど第1センターでのワークをこなし、ようやく慣れてきた頃、代表から「何故第1センターに移動になったのか、その意味を考えて下さい」というアドバイスを受ける。第2センターでは皆同じところからのスタートだったため、先輩がいない状態だった。しかし第1センターにはリファインの先輩がいる。既に就職活動をしている方もいた。そういう人たちとコミュニケーションを図れということなのだろうというのが私の答えだった。それからは意識的に自分からコミュニケーションを図り、周囲になじむ努力を行った。

そしてリファイン5か月目に入った時、リファインのスタッフから「就業トレーニングに行ってみませんか?」と言われる。就業トレーニングとは、2週間、実際の企業で働き、自分の課題に取り組みつつ業務をこなすということをする場だ。私は就業トレーニングにはとても興味があったため、一も二もなく了承した。

就業トレーニングの初日はがちがちに緊張し、「はたして私に業務をこなすことが出来るのだろうか」という思いが頭から離れなかったが、「この場は業務で成果を出す場ではない。自分の課題だけに集中しよう」とリフレーミングができ、緊張が幾分和らいだ。こういうところから、リファインでのワークが活きたものとなっているという実感を得られた。就業トレーニングでの2週間はあっという間に過ぎ、先方の企業様からも好印象を持たれたことで自信をつけてリファインに戻った。

しかし、私は就業トレーニングにもう一度行くこととなる。厳しい環境で本来の自分がどれだけ出せるかが大きな課題だった私には、もっと負荷をかけた状態での就業トレーニングが必要という判断だったと思うのだが、この時、私は「一度うまくいっている就業トレーニングなのだから二度目も大丈夫だ」と簡単に思っていた。しかし、二度目の就業トレーニングは成果を思うように出せないという困難が生じ、精神的に厳しいものとなった。ただ気持ちは「新しい仕事なのだから上手くいかなくて当然」とリフレーミング出来ていた。リファインでのワークが身についているとまた実感することが出来た。

私は当時、システム開発のプロジェクトマネージャーとして、周りの方と頻繁にコミュニケーションを取りながら仕事をしていく業務に進もうと、おぼろげながら考えていたので、この就業トレーニングの環境を活かさない手はないと考え、代表に「2週間の就業トレーニング期間を3週間に延ばしてほしい」とお願いをすることとした。ダメもとだった。何故延ばす必要があるのかをきちんと説明し、それでダメなら仕方ないと思っていたが、代表からOKの返事を頂戴した。
自分から申し出た期間延長の就業トレーニングは本当に苦しく、毎日が戦いのような日々だったが、やりきった時には、自分でもやればできるという大きな自信となって帰ってきた。

就業トレーニング終了後にすぐさま取り組んだのは自分取扱説明書だった。自分の強みや弱み、不具合の原因と対応策などを纏め、それを自分の行動の軸に出来る様にするものだが、私は就業トレーニングの2か月前くらいから着手をしており、50%くらいの出来のところまできていた。その内容に加え、就業トレーニングで得た経験を盛り込み、何度か代表と面談を行い、リファイン利用者の前で発表を行う。この時、いよいよ就活が出来るという喜びに満ち溢れていた。

就活自体は1か月くらいだったが、この期間はまさに山あり谷ありの連続だった。
この時、私はリファインには相談なしにある行動をとっていた。リファインから就活OKが出る前に、どうしても面接を受けてみたくなり、ふらっと受けた会社から内定を頂戴していたのだ。そこでの業務はプロジェクトマネージャー。元々私が目指していた業務にいきなり就けるということで、代表に相談した。そこでの代表の回答は「私は反対だ」というものだった。4回も倒れている私がいきなりプロジェクトマネージャーを行うことは危険だということが反対の一番の理由だったが、「もっと貴方にあった仕事があるはずです。」という代表の言葉を信じ、就活を本格的に始動した。

転職エージェントからの紹介で、少しでもアンテナに引っかかるものがあれば、とにかく応募。私は年齢が40代ということもあり、就活が難航することが容易に想像された。とにかく応募をしなければ話にならない。転職サイトからの直接応募も積極的に行った。50社以上は応募をしたと思うが、そのうち10社ほどから書類通過、そして運命のように、とある会社と出会うこととなる。残業時間は少なく、自社サービスを展開しているので厳しいスケジュールに追われることもない、社長やCTOの人柄も良いと、私にとっては理想ともいえる企業と出会うことが出来、その会社から内定を頂戴することが出来た。

代表からも、その企業へ行くことについての了承を得て、「おめでとう」という言葉を聞いた時、ようやく社会復帰が出来るという喜びに満ち溢れていた。就活期間1か月という短期決戦に持ち込めたのも、代表を初めとするリファインのスタッフのお蔭だと感謝している。

リファインでの9か月は自分にとっては宝のような時間で、代表を初めとするスタッフの方々、リファインの利用者の支え合ってのことだった。この場を借りて、感謝したい。これからは妻のため、そして何より自分のために実りある人生を送っていきたい。