卒業生の声(リワーク/転職)

Y.Y.さん(50代:男性)

50歳を超えて、このような晴れ晴れとした気持ちで、人生をリスタートできる機会を頂けることになるとは思ってもいませんでした。

1年と3か月もの間にお世話になった、代表、センター長、スタッフの方々、各階メンバーの方には本当に感謝しかありません。

私は、5年前に早期退職をし、全く業界も規模も違うメーカーで働き始めました。この2社目の会社は非常に魅力的な商材を持つ会社でしたが、1社目で凝り固まった自分自身の認知のゆがみと昔ながらの社内プロセスであった会社環境も相まって徐々にストレスを溜めることが多くなって来ました。3年目に迎えるころには業界や会社に対する不信感が拭い難くなってきていました。

そんな頃に実家の父親が体調を崩し始め、おととしの春ついに亡くなりました。時を同じくして母親の健忘症も激しくなっていることが発覚しました。母親の生活維持のための段取りや父親の仏事を終えた後、会社に復帰し、通常業務に戻っても、私主導での様々な相続処理や間の悪いことに自身の家族の転居手続き等も重なってしまい、オフタイムが完全にオフにならない感覚に陥り始めました。最終的には、あるお客様からのクレームメールを朝の寝床で見た瞬間、完全にすべての活動が停止。会社にも通勤できない状況に陥りました。

嫁からメンタルクリニックに行くように諭され、這うようにたどり着くとそこで「鬱」の診断が下されました。しばらくして産業医とも面談できるようになり、2回目の産業医面談時に「再発防止を考えるなら、とにかくリファインに行くことが肝要だ」と説得され、その日のうちに産業医からリファインに電話を入れるよう指示を受けました。

おととしの夏過ぎに体験通所、秋から本通所を開始しました。最初、「メンタルダウンされている方の通う施設=暗い方がどんよりしているイメージ」だったのですが、通所中の皆さんと触れ合う中で「(明るすぎるくらいの)メンバーの人柄の良さ、人の意見に共感する力、新たな視点で頂ける言葉」に限りない魅力を感じ、体験初日にすっかり「通うならここしかない」の直感を得ました。ただグループワークなどで全力で人の話を聞いたり、考えたりすることは思いのほか体力を消耗するのだということも体験通所当初は感じてもいました。

その後おととしの年末まで様々なWorkを受けさせていただくうち、「自身の価値観、決めつけで他者へ向き合っていた」ことが少しづつ理解できるようになってきました。ある日他のメンバーの方の「トリセツ」発表を聞く機会を得て、「人はここまで自分を真摯に開示し、分析できるものなのか」と衝撃を受けました。俄然自分も取り組みたくなったのを覚えています。

トリセツ作成中の面談での先生方の話術は見事でした。まずこちらの説明をじっと傾聴され、少し口頭補足等をすると「それはとても面白い着目点ですね。そのくだりも別にまとめて見ましょう。貴方ならできますよ」と褒め殺しの宿題が次々と提示されます(笑)。

また代表との面談が始まると、原因と見ていたいた「トラウマが真の原因ではないように思う」との指摘を受けます。「ストレス耐性は決して低くはない。守るものがあったためその判断をせざるを得なかっただけ。今回のダウンは『この年齢で自然に考えること(このままでいいのか)』と『想定外に重なった様々な活動』が一気に身体に不調を引き起こしただけじゃないですか?」の見立てに「過去を深く掘り返して『病根』を見つけよう」と過度にもがいてきた自身の方向性が間違っていることに気付きました。

トリセツ作成途上に「退職プロセス」にも迫られました。人間、一旦手に入れた安定したもの(=休職し施設に通う)から飛び出すときに大きなストレスを受けるのは自明です。ただ我が事になるとその揺れは想像以上でした。時間をかけて退職を産業医に伝えたその日の夕方、センター長に報告の電話をいれた時、「大丈夫。あなたなら絶対新しい環境を見つけることができる。すでにあなたに感謝している人は施設内に何人もいる。最後には感動的な卒業セレモニーになるはずだ。」との言葉を頂いたことは忘れられません。あの時あの言葉にどれほど勇気づけられたかわかりません。

今年秋になり今回の採用会社からの求人に巡り合い、その業務内容に大いに魅力を感じ、これまで以上に時間をかけて応募資料を作りました。でも面談では逆に意気込み過ぎないようにも気をつけました。最終的には長い就活生活の末たどり着いた自然体の面接時間も過ごせ、ZONEに入った感覚すらありました。

ただ最終面接を済ませたあとのご返事を頂くまでの10日間は正直に言うと何も手に着かない幽体離脱したような心境でした。そして暮れも押し詰まった12月末に内定確定メールをいただいた時は人生で久々に飛び上がりそうなうれしさを味わいました。メンバーの方にお話しすると一部の方は涙を浮かべて喜んでいただけたり。「家族以外でも自分の就職をここまで喜んでくれる人がいたんだ」という幸せをかみしめることかできました。

 

「怒りや悲しみは自分軸のフィルターを取り去ることが大事ですが、うれしいことは逆に他人のフィルターを介してさらに確認した方がいいんだな」などと最近は考えています。

この間に得た知見はこれまでの人生に比肩できるものだとさえ感じます。自分がこんなに人生に真正面からぶつかったことも、ネガな結果を受け入れたのも、さらに最終的には自分の周りの人に腹をくくって関与しようさえ思ったこともたぶん生まれて初めてだと思います。

 

父親が亡くなったこと

自分が動けなくなったこと

代表がこの施設を作られたこと

産業医が強くこの施設を推薦してくれたこと

自分の認知の癖をつかめたこと

人と話すことがこんなに大切だったときづいたこと

私より大変な経験をした沢山の優秀な若い仲間と交われたこと

世の中に役立とうと起業されている若い人たちがこんなにいるんだと知ったこと

 

今は「人生に無駄なプロセスはないんだ」と素直に思えます。これからもここで学んだことを次世代に、世の中に「恩送り」していければと思います。自分の人生を楽しんでいきます。本当にありがとうございました。